あの海の向こう

恋してFestival ときめきはCarnival

やっぱり重岡くんが好きなのかもしれない

ちょうど去年の7月に「担当は重岡くん」と今の私が胸を張ることはできない、なんてことを書きました。

わたし=重岡くん担とガッツリ思っている友人たちには「脱・重岡くんしました」と挨拶回りしたし、関ジュ沼にも片足入ったし(元関ジュ担なので仕方ない、あとスパノバ康二くんが…)、乃木坂ちゃんにもっと投資しようと決意もしたし(伊藤万理華ちゃん)、情報を以前に比べるとそんなに追わなくなっていたし、ラジオも聞き忘れていたし、重岡くんを見ても1ボルトくらいしかビリッとしなくなってたし、ほんとうにピリオドを打っていました。というか打てていたつもりだった。


でも自分の過去のインスタグラムを何気なく見返していたら、あったんです。それはどうしても忙しくて、ロードショーされていた時期にみれなかった「溺れるナイフ」をロードショー開始から半年後に全国でそこの場所だけで特別上映していた、小さな映画館に夜に見に行ったときの、投稿で。

色あせたスライドに入った溺れるナイフのポスター。四角く切り取られた重岡くんの制服姿。そして「ありがとう大友くん」「かっこよくて、かわいくて、だいすきだよ。」っていう短いコメント。

あぁこのときのわたしは人目もはばからず(リア垢です)とにかく、やっと自分の目で見た、出会えた大友くんの重岡くんの姿が全てだったんだなぁ、って。すがるように重岡くんが好きだったんだなぁって。よくドラマや少女漫画に出てくるような、ラブレターに書くことがありすぎて、結局、短くてありきたりな言葉で手紙を埋めてしまうような、そんな状況だったんだなぁ、って。

それを考えてしまったら、過去の自分をじんわり思い出したんです。重岡くんを心から信じていて、全肯定していたときの自分を。そして、重岡くんのどこが好きだったのかを。自己牽制のために重岡くんを見るのを我慢していた時期があって。

ひとつ前のブログで長々と重岡くんを好きな気持ちが薄れただなんて、それを説明するときに色々な角度から、パーフェクトに好きな重岡くんを書いていたけど。ほんとうに重岡くんを好きだったときって、きっと、そんな説明もできないんです。だって理由もなくて言葉にできないのに、どうしても好きだから。好きに理由なんていらない、だって好きなんだもん。そのことを自分の過去のインスタグラムを見て、ビビッと思い出しました。そして、それを思い出したわたしは、きっとまた1ミリずつ重岡くんのことを好きな気持ちに色を塗り重ね始めると思います。

だって好きだから。
それは、だらだら説明できるものではなくて。
重岡くんが好きだ。
見返りなんて、1ミリグラムも求めない正真正銘の片想い。

またゆっくりと応援するね。